ブログ#55

たまにの更新だけど見てくださってありがとございます。

本日は「幸福について」考えてみた。(てか、考えさせられた)

これから登場する2つのグループは極端ではあるが実際に体験した事例だ。2つのグループとも60~70代くらいだ。

A,Bというそれぞれ別々のグループがいる。Aは小綺麗な服、キラキラな指先など小金持ちという雰囲気を醸し出している。一方、Bはいわゆる普通な感じだがニコニコしており雰囲気が柔らかい。

Aからは文句を散々聞かされた。金、妬み、嫉妬。負の感情が話の中心だった。

この極端だが対照的なグループを見て

1つの疑問が浮かんだ

「幸福は金で買えるのか?」

Bからは写真を撮ってくれと頼まれた。久しぶりに皆で集まり、記念に1枚撮りたかったみたいだ。終始和やかで笑顔。

私の目には金持ちだが不幸なA、普通(or 平均点以下)幸せなBに見えた。

人生において誰しもが「幸せ」になりたいと思い描くが、私の結論は「金で幸福は買えないだ」※自分の幸福の定義がない人に限る

なぜなら、金は見えるけど、幸福は見えないからだ。ここに1万円があれば1万円と目視できるが、今、自分が幸せかどうかはできない。だからこそ、「幸せ」に苦しめられる。

「自分の幸せ」について考えたことある人がこの日本にどれだけいるだろうか。(考えたことがない方はもれなくA寄りの人間になりやすいと思うの)

普段何気なく見ているSNSやニュースやテレビ番組、アニメなどから私たちは無意識に「幸せの形」を意識させられている。

私もその1人だった。

例えば、学生の頃、髪型は前髪重めでマッシュぽく、なおかつ髭は剃らなければいけない。恋人の誕生日は高級ホテルのレストランでお祝い、夜はそのままそこのホテルへ、そして部屋に入るとHappy birthday ◯◯thという風船、ケーキとシャンパンで夜景を見ながらお祝いをする。卒業旅行は皆でグアムかハワイの大型リゾートで海とプール、ショッピングを嗜み、夜は皆でレストランでアロハポーズが定番。などなど

皆しているからこれをすれば間違いないという安心感があった。きっとこれが幸せだ。これをすれば幸せになれる。と思っていた。

これが悪いとは言ってない。やりたい人はやればいい。ただ、自分には合っていなかった。自分にとって幸せではなかった。(髪の毛はすっかり短くなり美容室からいつの間にかバーバーショップになった。休みの日は髭も伸ばすし、好きな服を着る。それが自分の好きな自分の形だった。)

今思えばこれらはほとんどがネットによる影響だ。SNSで友達の大勢がやっていると「それが幸せ」「それが普通」と錯覚する。

いや、違う。

「皆と同じことをやれば少なくとも不幸にはならない」こっちの方がしっくりくる。つまり、皆と同じことにお金を払えば不幸にはならないというだ。

しかし、当時の私はどこか「これで良いのか」という節があった。そして、周りの目を気にしすぎてストレスだった。

皆と同化しているのに私は不幸でも幸せでもなかった。息苦しかった。

息苦しかったので大学2,3年の頃から自分の幸せについて模索している。まだ勉強中だが、おかげさまで、自分なりの幸せができてきている。

受験に敗れ、新卒で就職もしないし、東京も離れた私だが

今、楽しい。

それ以外になにが人生に必要か?

今日はこの辺で、ばーい

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